ジャパニーズ・メタルは、1980年代に流行した音楽のジャンルで、日本人によるヘヴィメタルを指す。ジャパメタと略して呼ばれることもある。
ジャパニーズメタルの歴史 [編集]
1960年代 [編集]
ザ・ゴールデン・カップスなど一部のグループ・サウンズがディープ・パープル、レッド・ツェッペリン等の曲をカヴァーしていた。グループサウンズのブームも終わりかけた頃(1960年代末)、日本ではニューロックを始めるバンドが急増した。
1970年代 [編集]
日本のハードロック/ヘヴィメタルの創世記では、1970年代にジョー山中を中心に結成されたフラワー・トラベリン・バンドは日本のハードロック/ヘヴィメタル系バンドで初めて海外でもライブを行ったバンドでもある(諸説あり。例:ミッキーカーチス&サムライなど)。しかし、当時の日本は演歌、歌謡曲、フォークソングなどが全盛の時代であり、またハードロックという音楽の分野そのものがまだ全く認知されていない時代でもあったため、高い演奏能力を持ちながらも、その後解散してしまう。
1970年、ザ・ハプニングス・フォーのクニ河内、内田裕也率いるザ・フラワーズからフラワー・トラベリン・バンドに移行する前の石間秀樹、ジョー山中らは『クニ河内と彼のともだち』名義で、すべて日本語で構成されたアルバム「切狂言」を録音している(発売は、フラワートラベリンバンドのファーストアルバムの発売より後。)。
同年には、元ザ・フィンガーズの成毛滋はヴァニラ・クリームを経て、ジプシー・アイズを結成。1971年、ストロベリー・パス名義でハードロック寄りのアルバムを発表。その後フライド・エッグでロックギタリストの地位を築く。
また、ヘヴィメタルの視点から、竹田和夫率いるブルース・クリエーションが「原爆落し」「悪魔と11人の子供達」という曲を1970年にはすでにステージで演奏していた。これらの曲はブラック・サバスの楽曲に似ているが、彼らのオリジナル曲であった。1971年にはカルメン・マキと共に、アルバム「BLUES CREATION」を発表する。このアルバムは当時知名度のあったカルメン・マキのおかげで、好セールスを記録した。その後ブルース・クリエーションはクリエイションとなり、本格的なハードロックバンドとして変化した。
70年代中期にはカルメン・マキ&OZ、外道、現在も現役で活動しているBOW WOW、沖縄版ディープ・パープルと言わしめた紫、紫と同じく沖縄のバンドでニワトリの首を切るなど残虐なパフォーマンスでその名を轟かせたコンディション・グリーンらのデビューもあり、日本のハードロックシーンが少しずつ盛り上がっていく。
また、この時期にデビューしたレイジーは事務所の営業方針でアイドルバンドとして活動をさせられていたが、コンサート会場では海外のバンドのカヴァー(UFOなど)を演奏するなど、脱アイドル路線を期待する声も多かった。特に高崎晃のプレイについては、当時現役高校生という若さであったにもかかわらず、この時既に一部のコアなファンから注目を集める事になっていた。
1980年代 [編集]
1980年、アイドルグループだったレイジーが「ヘヴィメタル宣言」をしアルバム「宇宙船地球号」をリリース。高崎のプレイは当時まだ19歳ということもあって、若さ溢れる荒っぽいプレイではあった。 しかし、そのレイジーは1981年に解散してしまい、高崎と樋口宗孝は本格的なヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」を結成し、1981年11月にアルバム「誕生前夜」でデビュー、12月には今は亡き浅草国際劇場にてデビューコンサートを開く。
ラウドネス同様、営業面の問題から歌謡曲路線を取らされていたBOW WOWが元のヘヴィメタルバンドに戻ることを宣言し、1982年 - 1983年には海外のロック・フェスティバル(レディング・フェスティバル)に参加したり、現在は俳優として活躍しているうじきつよし率いる「子供ばんど」もライブ活動をしていた。
「ヘヴィメタル」の項目でも触れているが、この頃から音楽雑誌のYOUNG GUITAR誌とロッキンf誌が日本のヘヴィメタルバンドの為にフェスティバル等を開いたりと積極的にヘヴィメタルを盛り上げていた。
1983年にはアースシェイカー、44MAGNUM、マリノ、X-RAY、MAKE-UP、と言った関西勢のヘヴィメタルバンドが次々とデビューを飾り、一方東京からは1984年にBLIZARD、AROUGEがデビューを果たした。
また、この頃はアイドル的な女性メタルシンガーを次々と出す傾向もあり、樋口宗孝のプロデュースで浜田麻里が、高崎晃のプロデュースで本城未沙子がデビューを飾り、それに続いて早川めぐみ、橋本みゆき(現在活躍しているアニメソング歌手の橋本みゆきとは同姓同名の別人)等のイニシャルが「H.M.」(つまりHeavy Metal)の女性シンガーが次々とデビューを飾るが、最終的に残ったのは歌唱力がずば抜けていた浜田だけであった。
1984年にはインディーズながらアンセムやサブラベルズを始めとした関東のバンドが集まり、オムニバスアルバム「HEAVY METAL FORCE」を木箱入りでリリースしたりと積極的なアピールをしていた。
1980年代中期 -第2世代の登場・海外進出- [編集]
1984年には伝説のイベント「GRAND METAL」が大阪城野外音楽堂で開かれ、これから活躍が期待される若手バンドが出演した(出演バンドはアルージュ、ラジャス、本城未沙子、ブリザード、マリノ、X-RAY、アクション、44MAGNUM。アルージュは後に筋肉少女帯に加入する橘高文彦が在籍していたバンドであり、当時の橘高は19歳だった)。
この頃、BOW WOWはメンバーチェンジを機にバンド名をVOW WOWに代え、ラウドネスと共に海外を中心に活動開始していく。先に積極的に海外に進出したのはラウドネスであり、1983年にはアメリカ、1984年にはヨーロッパを中心にライブ活動を行い、夏には海外へのアピールとして「撃剣霊化」の英語ヴァージョンをリリース。翌年、1985年には『THUNDER IN THE EAST』で世界デビューを果たす。
1984 - 1985年頃になるとモトリー・クルーやラット等を筆頭に世界中で盛り上がり始めた『LAメタル』の影響もあってか、インディーズのメタルバンドの殆ど多くに、ただ単にLAメタルのように派手な格好でポップなメロディを導入すれば受けると言う風潮が生まれる中、東京のANTHEMは結成当初はNWOBHMの影響を単純に受けたバンドであったが、次第にアクセプトやマノウォーに代表されるパワーメタル的な要素を取り入れ、SABBRABELLSはブラック・サバスやアリス・クーパーを彷彿とさせるシアトリカルかつ悪魔崇拝的なステージングとヘヴィなサウンドで、FLATBACKERはヴェノムと日本のハードコアパンクを混ぜたような過激なサウンドと放送コードギリギリの過激な歌詞で日本のヘヴィメタルシーンを盛り上げていった。その後、ANTHEM、FLATBACKERは1985年に、SABBLABELLSは1986年にメジャーデビューを果たす。
この1985年といえば聖飢魔IIは、元々は早稲田大学のフォークソングクラブから生まれたバンドであり、アルバム「聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる」でデビューしたが、日本のバンドに対しては冷酷な評価をする事で有名なヘヴィメタル雑誌の「BURRN!」では0点の評価をされた。この理由については採点した酒井康の個人的な価値観に基づいたものであり、このアルバムが0点だからと言って単純に駄作と言い切れるものでもなく、現BURRN!編集部の藤木昌生などはこのアルバムを高く評価している。
同年8月にメンバー全員女性のバンドSHOW-YAがシングル「素敵にダンシング」でデビュー。初期は秋元康が楽曲を手掛けたりと「歌謡メタル」テイストな部分があったが、だんだんサウンドにハードさが増して1989年にCM曲に使われた「限界LOVERS」が大ヒットし日本のヘヴィメタル界に新風を巻き起こす。また、SHOW-YAは1987年から年に1回の割合で女性ロッカーだけを集めたロックイベント「NAONのYAON」を開催し、女性ロッカーの地位向上に大きく貢献する。
同年10月の体育の日に日比谷野外音楽堂で行われた「JAPAN HEAVY METAL FESTIVAL」にアンセム、フラットバッカー、聖飢魔II、ラジャスの若手勢、ベテラン格になっていたマリノ、海外からのゲストでスウェーデンのシルバー・マウンテンが出演。当時の音楽雑誌の記事にはマリノの出番になった頃に会場が盛り下がり始めた事が書かれていた。実際、バンドとしての全盛期を過ぎていたX-RAY、マリノはこの翌年に解散している。
1987年には44マグナムが「ヘヴィメタルなんかダサい」という理由でポップなロック路線に転換したものの、それまでのファンから猛反発を喰らい人気は急降下、結局はバンドそのものが方向性を見失って1989年にドラムの宮脇の脱退後に解散。MAKE-UPも1986年にアニメ『聖闘士星矢』の主題歌「ペガサス幻想」でヒットを飛ばすも翌年解散。その一方、この時期には元レイジーの影山ヒロノブがアニメ・特撮の主題歌を数多く手掛ける様になるなど(影山は90年代以降、一部の楽曲がゴールド・ディスクを獲得するほどのアニメソング界の大御所になっていった)、少なからぬメタル系ミュージシャンが自身の生活と芸能活動の維持の為に、メタル系以外への芸域の拡大を模索し始めていた。ヘヴィメタル・クイーンと呼ばれた浜田麻里も1989年に脱ヘヴィメタル宣言を行い、J-POPシーンでブレイクし、1990年代前半まで安定した人気を保つ事となる。
この時代は、ラウドネス、VOW WOWに続いてアンセムがLAでライブを行ったり、フラットバッカーがEZOと名を変えてジーン・シモンズのプロデュースで世界デビューしたりと、日本のヘヴィメタルがひとつの頂点を極めようとしていた時期であった。だが、結果的にEZOとして日本の地を踏むことなくバンドは1990年に解散している。
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